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 東大寺の金堂の『大仏殿』の創建は、奈良時代と言われています。その後、治承4年(1180年)と永禄10年(1567年)の二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代の宝永6年(1709)に公慶上人によって再建されました。
 一般に「大仏さま」と親しまれている大仏の正しくの名は『毘盧遮那(びるしゃな・ヴァイローチャナ)仏』と言います。
 大きな大仏がある『大仏殿』をご紹介します。

 東大寺の大仏様が納められている『大仏殿』です。
 宝永6年(1709年)に公慶上人によって再建されましたが、規模は創建当初に比べて東西が3分の2に縮小され、それでも用材の伐採から完成までに20年以上の歳月を要し、使用された用材は2万6千本余に達したといわれてます。
 建物は一重裳階つき寄棟造り・本瓦葺きで、正面銅版葺き唐破風つきで、東西57.012メートル、南北50.480メートル、高さ48.742メートルにも及ぶ、世界最大の木造建築物でもあります。
 広い敷地の中の入口の中門は、両脇は回廊となっており回廊に囲まれた内庭は儀式の行われるところです。
 大仏殿の前庭にある『八角灯籠』です。
 大仏に奉げるだけあってわが国最古最大の鋳銅製灯籠です。
 平安時代に手直をし、棹の部分が当時より短くなったため、少し寸胴気味になってしまったそうです。
 大仏殿に入ると『 毘盧遮那仏(盧舎那大仏像)』があります。その意味は「知恵と慈悲の光明をあまねく照らし出されている仏」という意味のことで、東大寺と関係の深い華厳経の本尊。天平15年(743年)に聖武天皇の詔によって鋳造されたもので、開眼法要は9年後の天平勝宝4年の4月。工事に携わった人の数は延べ260万人余といわれ、鋳造に使われた銅だけでも499t、メッキに使われた金は440kgで、日本国中から集められたと言われてます。
 尊像は像高14.98メートル、目長1.02メートル、耳長2.54メートル、顔長5.33メートル、鼻高0.50メートル、台座高3.05メートル。重さは380tと推定されています。
 左右には黄金の大仏がサポートしているように置かれています。
 こちらは大仏像から見て左側の『虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)』です。
 江戸時代の木造で、虚空蔵とは広大無辺の功徳が虚空のように大きく壊れることがないという意味です。
 この菩薩を念じれば記憶力が増すと考えられ、特に知恵を授ける仏として信仰されるようになりました。
 こちらは大仏像から見て右側の『如意輪観音菩薩像(にょいりんかんのんぼさつ)』です。
 江戸時代の木造で、煩悩を打ち砕く法輪を持つものとされ、衆生に利益を与える菩薩であると言われています。
 大仏の後ろ側には左右の2体の像が背後を守るように置かれていました。
 大仏像から見て左後ろにある『多聞天像』です。江戸時代の木造で、大仏殿内の東北隅にあります。四天王の一つで、北方を守っています。左手に矛を持ち、右手で仏塔を捧げています。
 大仏から向かい左側後ろにある『広目天像』の像です。江戸時代の木造で、大仏殿内の西北隅にあります。四天王のうち西方を守る神で、筆と経巻を持っています。
 こちらは大仏様の後姿です。また壁側には当時の模型などが展示されています。
 この模型は創建当時の東大寺の模型で、大仏殿内の西北隅にあります。
 大仏殿を中心に、南大門、中門が同一線上に建ち並び、大仏殿と中門を回廊が取り囲っています。また、東側の東塔が印象的です。
 東大寺のイベントの様子のパネルがありました。色鮮やかな布で大仏殿を飾り、華やかに行事を行う様子が良く分かるパネルでした。